お母さんにはわからないかもしれないけれど。

私の家族は、岩手県に住んでいます。
岩手県は、なんというか、風光明媚でいいところ。
食べ物もうまいしね。

しかーし。
セクマイや、メンヘラには、非常に厳しすぎる。
ものすごい偏見があります。

だから、私は、38歳まで岩手で暮らしたけれど、もう限界だなと思って、38歳のときに、埼玉に出てきました。
パートナーが埼玉に住んでいたので、そこにやってきたのです。
埼玉はいいよー。

東京の隣にある埼玉は、偏見がぜんぜんといっていいほどありませんでした。
髪を赤くしてるんだけどね、それについても、誰もなんにも言わないし。
後ろ指みたいなのも、誰もささないし。
いいよー。
いろんな人が東京にいるもんだから、埼玉の人は、それに憧れていると思われる。
だから、偏見とかじゃなくて、いい意味で、無関心だと思われる。

いいよー。

今日も、お母さんと話したのですが、
お母さん、どうにも、パートナーに対して感謝がイマイチなあ。足りないっていうかなあ。
もっと、私にパートナーがいることを、ありがたかってほしいなあ。
セクマイの人間に、パートナーがいるってかなり大変努力した結果なのよ。
そうよ!
はっきり言って、お金では買えないのです。
はっきり言って、宝くじに当たるより、断然いい思いをしているの。私。
えへへ。

それは、お母さんには一生分からないかもしれないけれど、でも、本当に、私は幸せになりました。
それは、間違いのないことなのです。

友達のお母さん。亡くなった友達。

家族には、まだ自分がトランスだとは言えていません。
でも、私の友達のお母さんには言えました。

もう、なくなってしまった友達。
東北大震災で、私の友達は行方不明になってしまいました。
もうきっと帰ってこない友達。

どれだけの思いで3.11を毎年迎えていることでしょう。
私は、同じく3.11で家と、犬を失いました。
でも、親と弟は無事でした。
でも、友達のお母さんは、いつまでたってもいつまでまっても息子が帰ってこない。
全然風化しない

友達はとってもいい人で、誰からもしたわれる、誰に対しても優しい男性でした。
真面目で、スポーツマンで、さわやかで、とにかく優しかった。
そんな人が何故と思います。

私は、3.11以降、なるべく友達のお母さんに手紙や電話をするようにしてきました。
今年もまた、手紙を書きました。
その中で、きっと私、このお母さんになら自分のことを話せるのかなと思ったのです。
やはり友達のお母さんだけあって、どこまでも優しい。
弱い立場の人のことを本当にわかってくれる。

それで、長い長い手紙を書きました。
かなり勇気を出しました。
なんていうか、もう嘘の自分ではいられないと思ったのです。

受け入れられるだろうか、本当に嫌悪感だけ残らないだろうか、とってもとっても勇気がいりました。

電話がきました。
話してくれてありがとうと、言ってくれて本当に嬉しかった。
私は、楽になった。
そして、今度こそその友達の分まで、生きていくのだと思ったのでした。

友達。
今もちょっとぐっときます。

友達のお母さんから、私に食べてほしいと言って、カレイのでっかい干物が20尾送られてきました。
本当になんでこんなに親切にしてもらえるのか。
そして私は決めました。
友達のお母さん、心の中で、あなたも私のもう一人のお母さん。
今年は母の日にプレゼントと手紙を送ります。

家族には言えません。

私は、自分がトランスであることを家族には言えません。
家族は、私がビアンだと思っています。
ビアンでもトランスでも変わらないとは思います。
でも、生まれた子どもが娘が実は男だったっていうのは、子どもの本人でさえ本当につらすぎるのに、親ならもっとつらいのかもしれないと思ってなかなか言えません。
親にこれ以上心配かけたくないです。

子どもの頃から自分に違和感があったので、そうとう人生はつらかったです。
でも、親にはよくしてもらいました。
メンタルになったのは、親からの厳しいあたりもあったけど、トランスだったからっていう理由もあると思います。
トランスってかなりしんどい。

胸があることが信じられないくらいつらい。
私の胸のでかさは普通じゃない。
普通じゃないのです。
幼稚園の頃からすでに大きくなっていた。
男性ホルモンもかなり多くて、小学校4年生のときに小学校で泳いでいたら腋毛を友達に見られた。
とんでもなく恥ずかしかったし、あっというまに学校中のうわさになった。
それまでもいじめにはあっていたけど、それからのいじめはもっとひどかった。
思い出すとかなりつらいです。

これは親には言えなかったしこれからももう過ぎ去ったことだからいうつもりはないです。